日本バレエの史跡を訪ねて


鎌倉市・日本バレエ発祥の地
仙台市・日本のバレエの先駆者
東勇作記念碑


                               写真は全て淺野 正の撮影による

鎌倉市・日本バレエ発祥の地


江ノ島を望む鎌倉市七里ヶ浜にある「日本バレエ発祥之地」を訪問
                               稽古場入口跡から撮影:淺野 正

ご覧のように国道を一本隔てて太平洋が・・・ 
先輩の話を聞くと、リハーサルの合間によく泳いだとか



↑稽古場玄関跡から 稲村ヶ崎 方面を望む

↓ 中央黄色い建物(赤い屋根の左)が旧稽古場跡地になる 更に左に高低のモニュメントが見える

 2000年4月 桜が盛んな頃、「日本バレエ発祥之地」を訪ねた。

 付近は駐車はもちろん、停車すら出来そうにないところ。
 鎌倉攻めの折り、新田義貞が剣を海中に投じた故事で有名な
 稲村ヶ崎の公園駐車場に車を入れて、江ノ電で駅一つ
 七里ヶ浜駅で降り徒歩5分・・

 元稽古場の全景を撮影するには、
 命がけで国道を海側に渡らなければならず、断念

 立派な、実に立派なモニュメントである。

 潮風の中、腐食と風化が徐々に進んでいたが、
 現在(2005年7月)は、綺麗に補修されている


  参考:
  江ノ電の公式サイト
  江ノ電の旅のホームページ
  関連サイト →  山口さんのページ

    

  はめ込まれた銅板左が“顕彰碑” 右が“肖像”

稽古場のあった地所は人手に渡った模様

顕彰碑
題字は 社団法人日本バレエ協会会長
   島田 廣 先生の揮毫による
         日本バレエ発祥之地 

 エリアナ・パブロバは大正九年 動乱の祖国ロシアを逃れて来日
 昭和二年 この地にバレエスクールを建てた エリアナは自分自身の
 舞台活動を通じて 日本にクラシックバレエを紹介するとともに
 多くの舞踊家を育て 日本バレエ界の基礎づくりに貢献した
 第二次大戦後 日本のバレエ界の発展を支えてきた人達の多くは
 パブロバの薫陶のもとに育った
 昭和八年日本に帰化 霧島エリ子を名乗ったが 昭和十六年軍属と
 として日本軍慰問旅行の途中 南京で戦病死 鎌倉市は市葬をいとなみ 
 のち靖国神社に合祀された
 母ナタリア 妹ナデジタはエリアナを輔けエリアナの死後 その
 仕事をついだナデジタは昭和五十七年この地で没した

 昭和六十一年十一月吉日         エリアナパブロバ顕彰会

  関連サイト
  パブロバ先生「霧島エリ子命(キリシマエリコノミコト)」が祀られている 靖国神社
  Kさんのサイト『翠松庵no散歩道』の中の 『エリノア・パブロパ邸』86年
  1986年代の素晴らしい写真があります。 



銅板のレリーフ 左から ナデジタ パブロバ(1905-1982)
          中央  エリアナ パブロバ(1899-1941)
            右   ナタリア パブロバ(1872-1956)

実に悲しい、一枚の案内板


仙台市・日本のバレエの先駆者 東勇作記念碑


2000年9月 仙台市・若林区成田にある「東勇作先生の菩提寺」を訪問
                               撮影:浅野 正

冷源寺 ・・・ 日本のバレエの先駆者 東 勇作先生 の墓所であり、山門入って直ぐの所に記念碑が建っている。

お墓も直ぐの所であったが、撮影は差し控えさせていただき、参拝のみで退出した。

東 勇作先生 略歴
明治43年 仙台市で生まれる
    旧制:仙臺二中を卒業後上京
昭和2年、鎌倉でエリアナ・パブロバの内弟子となる。
昭和9年に益田隆、梅園竜子と共に「益田トリオ」を結成。
昭和16年 東勇作バレエ団第1回公演「レ・シルフィード」「牧神の午後」他、
      日本で初めてのクラシック・バレエの上演となる。
昭和21年 「白鳥の湖」日本初演に王子役を踊る
昭和46年8月4日永眠 享年62。勲四等瑞宝章 法名:寶蓮院釋勇憲

    

  上:銘板「日本のバレエの先駆者 東勇作記念碑」と読める

  左:モニュメント全体の姿態
    白御影石で神殿の柱をかたどっている

「牧神の午後」を踊るブロンズ像のアップ
高さ約30センチ
古写真
“牧神の午後”を踊る東勇作