管理人の ひとりごと

2003年7月28日 更新

巣作り

玄関にツバメが巣を作っています。毎年春に飛来してヒナを育てます。
そして、これも毎年の恒例行事となってしまいましたが ヘビ が襲います。
この憎き侵略蛇に“ニョロ兵衛”と名を付けました。
日毎に大きくなっていくヒナをみるのが楽しみになっているので、最初にやられたときは
がっかりしましたが、次の年からは「神様に選ばれた子だけが巣立っていく・・・・
これが自然の摂理なのだ」と考えるようになりました。
ツバメにとっては餌になってしまった不運、
ニョロ兵衛にとっては豪華な食事にありついた幸運。
喰われたヒナには可哀想だけど、奴の幸せいっぱい腹一杯でにっこり笑った顔を見ると
(=蛇も笑うんですヨ!)
「ニョロ兵衛良かったね」と声をかけます。
飲み込んだ「餌」の数だけ腹に膨らみを作った不格好な後ろ姿に手を振るとき
立場によって悪かった、良かったの評価は全く変わるものだと感心したりしています。
さて、驚くべき事が巣を荒らされた翌日から始まります。
馬鹿なのか強かなのかツバメのお父さんとお母さん泥土をくわえて来て、
壊れた巣を繕い始めます。そして性懲りもなく同じ場所で再び卵を抱くのです。
最初からやり直しというわけでしょうか、これも毎年の事となりました。
いやはや....
馬鹿だけど強かなバレエのお父さんとお母さんも20年間多くのヒナを育て続けて参りました。
一人でも成鳥になってくれることを願いつつ・・・・。
世の中には試験だの、就職だの、ボーイフレンドだの、誘惑に満ちた面白い事だのと多くの
ニョロ兵衛がウヨウヨしています。
往々にして望んだときは既に手遅れとなるものですが、
「だからこそ」バレエのお父さんとお母さんは望む子には自由な大空へ羽ばたかせてあげたい....
と頑固しているのです。

  “泥をくわえて 巣作りの 燕にならって 我らもまた・・・”(京劇「白蛇伝」の一節より)

衣裳合わせの日、一人の女の子がブカブカなチュチュの中で言いました。
「わたし、バレリーナになるの」

                  (1994年の発表会プログラム)

2本の足

人類は2本の足で立ち上がることにより、他の動物より賢くなることが出来ました。
脊髄の直上に大きな脳を支える事が出来たからです。
“スフィンクスの謎かけ”という昔話を知っているでしょう?

   スフィンクス=人頭獅子身の空想動物=が旅人に謎なぞを出し、
   答えられない者を谷底に突き落としてしまうという話です。

「朝は4本足、昼は2本足、夕べは3本足。これは何か」 「それは人間だよ」と賢者。
スフィンクスは自ら谷底に身を投げたと云います。
                    (ちなみに3本目の足は杖で老年期を示す。)
バレエの人は“2本足”のみならず1本足を経験します。
2本足で立つ事すら、すごい事なのに片足で (しかもつま先で) 立って永いバランスを
とったり、グルグル回ったり、跳び上がって何かやったりと常軌を逸したトンデモナイことが
出来るようになるのです。
全て訓練のたまものによるすばらしい能力で(少なくとも馬鹿じゃ出来ないはずなんだけど
ネェ....) 他の人が体験できない独特の世界を垣間見ることが出来るのです。
 なんとステキなことでしょう。
しかしながら、さんざんバレエをやってきて己の心身が磨かれ、輝いてきていることに
気付いていないのが多いのはどう云うことでしょう。
自分の意志で動的にならなければ楽しい世界は開けません。
他人や環境に左右されず、より優しく、美しく、魅力的になって欲しいものです。
秀でたものを身につけているのだから、それを使って社会の役に立ってもらいたい ・・・・
それが自分自身への悦びとなることも解るはずです。

 目覚めよ、行動せよ、優れた人たち

            スフィンクス 見ては居れんと 谷登り

                  (1995年の発表会プログラム)

名曲

名曲って何でしょう?
「旋律、リズムなどの構成が絶妙で、大多数の人が評価し、巷で聴こえる事が多い音楽」
と定義しましょうか。
しかし、どんなに良い音楽でも“耳にタコ”ができるほど接していると、無感動な状態で
聴き流していたりします。 
いわゆる“手垢”が付いた名曲は、それそのものに罪はないのですが、流行った当時の社会環境や
“古い”という言葉で処理されるなど不当な扱いがされることもあります。
純な気持ちで名曲を傾聴すると「絶妙な構成」に感動します
皆さんも 運命 カルメン 美しき青きドナウ 軍艦マーチ G線上のアリア などを
初めて聴くつもりで聴いてみて下さい。
きっと新しい発見と感動が有るでしょう。 
私はバレエ界でよくやられていること、例えばプログラムの挨拶文から、教授法(メソッド)
発表会の企画に至るまで、異なった、しかも良いと思われる方法でやって来ました。
我国の「芸事の習慣」がバレエという「西欧の文化」になじまないこともあると知ったから
でもありますが、特殊性、独自性に価値を見つけようとしているからです。
独特の優れた持ち味を持つ事こそが芸術だと考えています。
チャイコフスキーの三大バレエ。
バレエの通俗名曲の演出を考え直すことも独自性と自画自賛しているこの頃です。

                  (1998年の発表会プログラム)

チヤイコフスキー

チヤイコフスキー・・・というと、あまりにも有名なロシアの作曲家。
白鳥の湖、眠れる森の美女、くるみ割り人形 という三大バレエで神様のように
いわれているが、彼ほどスランプの沢山あった作曲家も珍しい。
「管弦楽組曲」という駄作がある。最大のスランプの時書かれた作品だ。
ご丁寧に第一番から四番まである。

世の中よくしたもので、いわゆる名曲は、バレエの名作になりにくい。
彼の駄作は、バランシンの「テーマとヴァリエーション」という珠玉の作品となった。

「白鳥の湖」のオリジナルは、聴くに堪えん所が沢山ある。
   今、発売されているCDは、ほとんどオリジナルスコアによっているから、
   聴いてみるに事欠かない。
これを不朽の名作としたのは、M・プティパである。
チヤイコフスキーが、真の名作を書くのは「くるみ割り人形」まで待たねばならなかった。

4番目のバレエ「シンデレラ」とは、どんな作品だったのだろうか。
ロシア革命後、ソヴィエト連邦政府は、チヤイコフスキーの後を任せるべく、
プロコフィエフに作曲を依頼するが、これも絵に描いたような駄作となった。
チヤイコフスキー博物館には、未開封の資料が多いときく。
チヤイコフスキー・パ・ド・ドゥ の曲もごく最近発見されたものだ。
(ついこのあいだ、40年前だ)
「シンデレラ」が見つかることを期待している。
発表会のレパートリーが、少ないのでね・・・

                                 正

バレエ人の配慮

世紀末だ、新世紀だと騒いでいましたが特に何の変わりもなく人々の営みが
続いています。
結構なことと思います。
人間が二人以上集まれば社会が出来るわけですが、社会生活を営んでいくのが
下手になったようです。

相手に届く以上の大きな声を出すもんじゃねえ・・
乗り物に乗ったらさっさと奧から詰めるもんだ・・・
なんて親から叱られたものでしたが、このような“環境への配慮”は巷から
無くなってしまったのでしょうか?

バレエは、他人への配慮が無いと巧くいかないものです。
小さい子は、まず“並ぶ = 人に合わせる”ということを学びます。
自分も構成要素の一つであって、列を乱すと綺麗な踊りにならない事を知ります。
長じて、「仕事」をキッチリやることが創造であり、芸術への貢献と愛情であると悟ります。
自分を大切にしながら、自身を鍛え、周囲に労りを持つ・・・
これが無いとバレエは出来ないといっても過言ではなく、少なくとも
良いソリストや主役になれないのです。
素敵なバレエ人になるように祈念しつつ・・・

                  (2001年の発表会プログラム)

尊敬する人

バレエで感動することが少なくなりました。
職業癖(?)で脳細胞の一角が“コンクール審査員的批評眼”で観ているからかもしれません。
それとも、感銘を与えない、楽しめない作品ばかりなのか?・・・ 
映画やオペラなど他の分野では琴線に触れる物がたくさん有りますので、
私の感覚が鈍ったわけぢやないやうです。
バレエ人の手前味噌や不勉強が原因かもしれません。

「尊敬する人は?」ときかれることがあるでせう?
私は「二番目に尊敬する舞台人は 蓋叫天 です。」と答へます。
            (え?一番目ですか? それは私の師匠ですよ。)

蓋 叫天 (ガイ チャオティエン 1888~1971) は、京劇の名優です。
「學到老(学びながら老いる、今で云う“生涯学習”の意味)」を座右の銘とし、
文字通り死ぬまで勉強し続けた人です。
彼のエピソードは沢山あるのですが、一つだけ・・・
仲間のミスをかばって無理な跳び方をしたのが原因で足を骨折してしまいました。
足を動かせない彼はバレエでいうポール・ド・ブラ(腕の動作)の練習に励みましたが、
退院間際に足が曲がって付いてしまっていた事に気が付いたのです。
再治療を求めたのですが(私だったら、少し外向きにしてもらいますが)医師は
「もう一度、骨折しない限りダメだね」と冷たく言いました。
即座に蓋叫天は、ベットの鉄製フェンスに患部を叩きつけました。
・・・二年後・・・彼の姿が舞台にありました。
怪我をしたときと同じ作品、同じ幕。そして因縁の場面が近づく・・・
固唾をのむ観客・・・見事な跳躍と吸い付くような着地。
ファンの歓声は劇場を興奮の坩堝と化したといいます。

ダンサーは何歳まで踊れるのだらうか? 
先輩の中には還暦を過ぎてもパ・ド・ドゥを踊っている人が居ます。ご立派です。
蓋叫天もまた鍛え方が違ひました。
65歳で宙を飛び激しい立ち回りを演じていました。
 (映画が残っています。ビデオで見ることも出来ますよ。)
自分に厳しいと言ふことと手前味噌とは一見似ているので気を付けなければなりますまい。
「いかに他人を愉しませるか」の心がないと芸とはいえないでせう。
バレエをやっている人は芸を磨く=他人に優しくあるやうに と願っています。

                  (2002年の発表会プログラム)

降参

NHKの大河ドラマに「新撰組!」が決まつて高幡不動は盛り上がつてゐます。
2006年は「坂の上の雲」ださうで明治人を描いた司馬遼太郎さんの大作で
日露戰爭講和百周年に合わせるのでせう。
私がバレエを始めたばかりの頃 明治百年記念公演 があり三島由紀夫先生
(小柄で目立たない方で、とてもあんな大事をする人とは思へなかつた)
の書き下ろし「ミランダ」が日生劇場で上演されました。
これは明治初期に來日したイタリア曲馬團の少女と魚河岸の兄哥との悲戀物語でした。
明治は遠くに行きましたが、日本が良くも惡くも近代國家となつて一世紀半も
經つてゐないし、日本のバレエは百年の歴史すらないのです。
「坂の上の雲」の話に戻りますが、ロシアのバルチック艦隊が日本に降伏したとき掲げた
白旗(實は軍艦の食堂で使つていたテーブルクロス)が保存されてゐます。
白旗=降參 は世界の常識ですが、どこの國でも白旗の用意だけはしていません。
“HU=お手上げ”なんて刺繍した絹の立派な白旗・・・
「負けるかもしれないから、これ持つて行かうや」なんて言い出す大將がいないのは
勝つことしか考へていないからです。
「私、できない。ダメ・・ コケたらやだなぁ・・ 振り變えよう・・・」
これは白旗を用意して合戰にでかけるやうなもので最初から負けです。
コケてもいいぢやないか、やり續ければいつかは出來るようになるんだよ。
できないかもしれない・・と考へると不思議に失敗するものです。
できるやうにするためにだうするのかを考へませう。
今日舞臺に立つということは、舞臺に立てる運にあつたといふことですから、
「私は神樣に選ばれた天才だから出來ないことはない」と言つてみませう。
ほら、できたでせう?!
 ん?・・なんだとぉ??・・できねえ?・・そいつぁ努力が足らんのだよ。
“棚からボタモチ”も棚の下まで這つてでも行くことが必要で、
運を捕まえるに足る努力はしませうね。

                  (2003年の発表会プログラム)