源義高最期の地

清水冠者源義高が討たれた現場


埼玉県狭山市・国道16号線沿い 川越方面に向かって左側



清水八幡宮の由來
祭神 清水冠者義高

源義高(1173〜1184)は木曽義仲の子として比企郡大蔵に生まれた。
六歳の時、伯父源頼朝が人質として鎌倉に呼び寄せ、成人になるや頼朝の
娘 大姫 の婿となり鎌倉営中に住居をかまえていた。
その後、父義仲が頼朝と不仲となり誅殺された。
義高も頼朝に疑を受け誅殺されるとの風評を耳にして女中に変装。
寿永三年四月二十一日払暁(七百年前)奥州の藤原秀衡をたより逃げた。
だがすぐ頼朝の知る処となり部下を八方に追わせた。
途中当地入間川八丁の渡附近で藤内光澄の為に遂にこの地で殺害された。
頼朝の妻政子及び大姫がこの悲報に歎き、亦畠山重忠等の進言により無実
なる事明白となったので当地に壮麗なる清水八幡宮の拝殿を造営した。
政子自ら参拝し義高の霊を慰め且神田を寄附されたという。
後應永九年八月の大洪水の時全て流失したが、後年川原より石祠が発見さ
れ現在の処に鎮座し再建された。

神社由來より引用