生麦事件

刃傷発生現場

横浜市鶴見区生麦4丁目25



説明文意訳


文久二年八月二十一日(1862年9月14日)天気晴れ
鹿児島に帰郷途上の薩摩藩主 島津三郎久光様 の行列に
異人4名(女1名を含む)が横浜方面から来て本宮町の
勘左衛門ちの前ですれ違おうとした。
しかし馬を下りなかったので無礼討ちにした。
逃げ出したので、追っかけて行って一人を松原で討ち取った。

  (リチャードソンという英国商人が深傷を負い現場から
   670m程横浜方面に逃げたが
   力尽きて落馬。追ってきた薩摩藩士に討ち取られた。)

残りの3人は傷を負ったまま神奈川の方へ逃げて行った。
お役人様が桐屋を対策本部とされたので、当村の役人も
桐屋に詰めて待機した。
例の異人の遺骸は他の異人が大勢来て引き取っていった。

               生麦村の名主 関口日記より
 

上記案内板の絵を部分拡大撮影してみた

 上は 薩摩藩行列側から進行方向(京・大坂方面)を望む  画面右端に上記説明案内板
    白い自動車  自転車の人  葬儀屋さんの看板  太陽の方向
    などで上と下の写真の位置関係を見てね
 下は、“異人”側から大名行列方面(江戸・川崎方面)を見る
この地は、実際に刃傷が発生した場所で、この道が当時、本当の東海道であったようだ。

関連リンク1 → リチャードソン絶命の地

関連リンク2 → リチャードソンの墓